Eichin’s blog

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東京の食について

東京の食は高い。全部高い。
確かに東京の食事は日本一レベルが高いと言えるだろう。自然由来の素材に拘ったオーガニック料理や、忠実に再現された各国の伝統的な料理、世界的に高い技術を持ったプロの板前が提供する日本料理などをあまねく楽しむことができる。
だが、上記のような本当に心から喜べる食事は値段がとても高い。普通の20代が普段から利用するのは無理だろう。

東京の食事は安い、もしくは普通だ。
もちろん、リーズナブルな食事もありふれている。東京に住む大多数の人がごく普通の、月給20~30万で暮らす人たちだろう。だから安価で便利な立地にあって刺激的で簡単に欲求を満たしてくれる飲食店は数え切れないほどある。

食品を安価で提供するには何をしなければいけないのか?
・大量生産。つまり規格化して機械や工場で生産する
・効率。動物なら狭く、行動や欲求が制限された劣悪な環境で育てること。早く成長するために成長促進ホルモン剤を打つこと。病気にならないために抗生物質を投与すること。
・添加物。購買欲求を高め、消費のサイクルを潤滑にするために必要な物質。着色料や発色剤、香料など。味を加工するものは甘味料。保存効果を高めるものは保存料。

食は人間の、というか生物の根源的な欲求である。食にエネルギーを費やしていたら経済発展はできない。いや、そんなことはないのか。人間は上記のように無理をしてまで安価にしなければ経済発展できないのか?人類の歴史はそうではないはずだ。自然と調和した育成法、生産者と消費者のバランスは今よりもよかったはずだ。

人類は見えないもの、知らないもの、感じないものを想像上で留めるのではなく、現実化したいという欲求がある。この欲求こそ、人類をまだ見ぬ世界へ進化させる推進力だ。これこそある意味経済「発展」である。これはマクロ経済で働く力だから避けようがないし、必ずそういう未来へ進む。

我々一般人は、新しいものを消費するコマにすぎない。消費するものがいなければ想像は想像のままで止まってしまう。我々消費者がいるからこそら新しい世界が実現可能となる。想像上のものを現実化させて世に送り届ける人を普通起業家とか実業家とか言ったりする。

この世の中で働いてる人はみんな小さな起業家であり、消費者である。いや、起業家は少ないか。人のために動き、新しいものを生み出せる人はやっぱり少ない。そういう人がもっと増えたらいいな。

話が脱線したがとにかく、この先どんどん想像上のことが現実化していき世界は変わっていくだろう。
だが、絶対的に見て、いいものは残したい。
今は生産者が少ない。
そして都市に人口が集まりすぎてる。

安価な食品を摂ることは気持ちが悪い。もちろん、お金のない人たちを生かすために、たくさんの人が努力してくれたおかげであるのだが、すこし立ち返ってみよう。そこまでしてもらって生きたいか?新鮮な野菜、ストレスなく育った動物達、その季節その場所でしか採れないものを食べる、という食事を私はしたい。本来の、自然に沿った食事をしようじゃないか。だから私は農業をやる。生産者が少ないから生産者になろう。(ん〜とにかく農業はやる。)

東京の食はお金を持つ人たちならまぁいいんじゃないでしょうか。便利で綺麗で刺激的で欲求を満たしてくれて、なおかつ素材がいい。やりすぎじゃね?と思ってしまうが…(笑)

一方、富を持たざる人達の食ためには、様々な人が様々な工夫や努力を施してくれている。安価で提供するための劣悪環境での飼育、添加物使用やや農薬散布など。こちらも、少しやりすぎな気がする……(笑)