Eichin’s blog

インプットした知識をアウトプットするためにブログを利用しています。

東京に住むことについて

一般人が普段住んでる場所でお金を消費することってなんだろう。
・食事(外食)
・食事(スーパー)
・ファッション
・モノ
・娯楽(マッサージ、サロン、カラオケなどちょっとした経験)
・交通(電車、ガソリン代、タクシー)
・住居(賃貸)


東京のいい所。
交通が便利すぎ。
こだわりのファッションやモノが手に入る。
娯楽が神。夜景が綺麗。とにかく、人工的に綺麗!

東京の悪いところ。
家賃が高い。
交通便利だけど人多い。
普通のファッションやモノならネットで買える。
安心できる食は値段が高い。安い食は何が入ってるか分からない。


そうだ!山へ行こう。農業しよう。


うん、大都市はね、元々珍しいものや希少価値の高いもの、特別な能力を持った人などが集まり、それみよがしに人が集まってきては集まり、発展していったのだ。発展しきった今、東京に住む大部分の人は日本の経済のためのエサとなっている!気がする。

東京に住む理由などない。
東京は人工的で自然な要素が少ない。
エネルギーを多く消費してしまう。知識を吸収し、そして発散することがとても難しい。
落ち着いて真理の追求ができない。
そう、俺がしたいのは真理の追求だ。

ゆっくりと愛でることをもっとしたい。
自然を見つめ直して、自然のエネルギーを感じ、さまざまな動物たちと暮らしたい。

芸術や伝統にも気を遣いたい。

東京の食について

東京の食は高い。全部高い。
確かに東京の食事は日本一レベルが高いと言えるだろう。自然由来の素材に拘ったオーガニック料理や、忠実に再現された各国の伝統的な料理、世界的に高い技術を持ったプロの板前が提供する日本料理などをあまねく楽しむことができる。
だが、上記のような本当に心から喜べる食事は値段がとても高い。普通の20代が普段から利用するのは無理だろう。

東京の食事は安い、もしくは普通だ。
もちろん、リーズナブルな食事もありふれている。東京に住む大多数の人がごく普通の、月給20~30万で暮らす人たちだろう。だから安価で便利な立地にあって刺激的で簡単に欲求を満たしてくれる飲食店は数え切れないほどある。

食品を安価で提供するには何をしなければいけないのか?
・大量生産。つまり規格化して機械や工場で生産する
・効率。動物なら狭く、行動や欲求が制限された劣悪な環境で育てること。早く成長するために成長促進ホルモン剤を打つこと。病気にならないために抗生物質を投与すること。
・添加物。購買欲求を高め、消費のサイクルを潤滑にするために必要な物質。着色料や発色剤、香料など。味を加工するものは甘味料。保存効果を高めるものは保存料。

食は人間の、というか生物の根源的な欲求である。食にエネルギーを費やしていたら経済発展はできない。いや、そんなことはないのか。人間は上記のように無理をしてまで安価にしなければ経済発展できないのか?人類の歴史はそうではないはずだ。自然と調和した育成法、生産者と消費者のバランスは今よりもよかったはずだ。

人類は見えないもの、知らないもの、感じないものを想像上で留めるのではなく、現実化したいという欲求がある。この欲求こそ、人類をまだ見ぬ世界へ進化させる推進力だ。これこそある意味経済「発展」である。これはマクロ経済で働く力だから避けようがないし、必ずそういう未来へ進む。

我々一般人は、新しいものを消費するコマにすぎない。消費するものがいなければ想像は想像のままで止まってしまう。我々消費者がいるからこそら新しい世界が実現可能となる。想像上のものを現実化させて世に送り届ける人を普通起業家とか実業家とか言ったりする。

この世の中で働いてる人はみんな小さな起業家であり、消費者である。いや、起業家は少ないか。人のために動き、新しいものを生み出せる人はやっぱり少ない。そういう人がもっと増えたらいいな。

話が脱線したがとにかく、この先どんどん想像上のことが現実化していき世界は変わっていくだろう。
だが、絶対的に見て、いいものは残したい。
今は生産者が少ない。
そして都市に人口が集まりすぎてる。

安価な食品を摂ることは気持ちが悪い。もちろん、お金のない人たちを生かすために、たくさんの人が努力してくれたおかげであるのだが、すこし立ち返ってみよう。そこまでしてもらって生きたいか?新鮮な野菜、ストレスなく育った動物達、その季節その場所でしか採れないものを食べる、という食事を私はしたい。本来の、自然に沿った食事をしようじゃないか。だから私は農業をやる。生産者が少ないから生産者になろう。(ん〜とにかく農業はやる。)

東京の食はお金を持つ人たちならまぁいいんじゃないでしょうか。便利で綺麗で刺激的で欲求を満たしてくれて、なおかつ素材がいい。やりすぎじゃね?と思ってしまうが…(笑)

一方、富を持たざる人達の食ためには、様々な人が様々な工夫や努力を施してくれている。安価で提供するための劣悪環境での飼育、添加物使用やや農薬散布など。こちらも、少しやりすぎな気がする……(笑)

日本の食の安全について

日本で売られてる食品はクスリまみれ!?

農林水産省の検査では、米国産小麦の97%、カナダ産小麦の100%からグリホサートが検出されている。グリホサートとは根まで枯らす除草剤のことで、穀物を大量生産・早期収穫するために遺伝子組み換え作物とセットで使用されている。遺伝子組み換えをする理由は、まさに除草剤に対して耐性をつけるためだ。また収穫前にもグリホサートを散布する。実が硬くなり、脱粒する前に成長過程を遅らせ、全体を均一化させ、収穫しやすくするためだ。(プレハーベスト)
さらに、収穫後にもグリホサートは散布される。今回は乾燥剤・殺菌剤としてだ。何日間もかけて海を横断する際に、カビや害虫を発生させないようにするためだ。(ポストハーベスト)

その結果、日本で加工・販売されている小麦製品24項目中、17製品でグリホサートの検出が確認された。

デンマークスウェーデンノルウェーではラウンドアップ(グリホサート主成分の農薬)の散布禁止、フランスではラウンドアップの販売禁止、EUは2022年までにグリホサートの仕様を禁止すると発表。

続いてアラブ6カ国も使用禁止、ベトナムなどアジア5カ国もグリホサートの輸入禁止を決定、その他、アフリカ各国、南アメリカ各国も販売禁止に動いている。

それに対して日本は小麦を始めとする穀物のグリホサート残留基準値を引き上げた。

ppmとは、百万分の一の割合である。1kgに対して1mgの割合だ。)これにより世間に不安の声を響かせた。
だが、よく見れば国際基準に合わせただけのようにも思える。

上記の値は輸入した直後の残留値であって、加工を施したら値は下がる。日本で流通している小麦を原料とした加工食品の残留値は0.05~1.01ppmだ。特にスパゲッティや食パンは0.05~0.15ppmである。全粒粉の小麦粉は0.80~1.01ppmなど、比較的高い値を示す。

では実際に摂取した際のリスクはどのくらいなのか。政府が定めたグリホサートの一日摂取許容量というものがある。
これは、人がある物質を毎日一生涯にわたって摂取し続けても、健康への悪影響がないと推定される一日当たりの摂取量である。
グリホサートの一日摂取許容量は1.00ppm。
体重50kgの人なら50mgまでならOKということだ。
0.18ppm(0.18mg/kg)のパンであったら、毎日278kg(約730斤)食べ続けても問題がないことになる。

政府や企業の見解はこうだ。
「一部の偏った情報が人々を不安にさせている。健康に悪影響は無いに等しいので、摂取しても全く問題ない」と。

ではグリホサートの健康被害のリスクは無視していいのか?グリホサートは一定条件下で、発がん性を示すことはWHOも認めている事実で、発がん性以外にも発達神経毒性や生殖毒性も複数報告されており、多量使用による慢性影響が懸念されている。

一方で日本やEUでは、発がん性はないと認めているので、混乱が生じている。

だがこれだけは言えるだろう。満場一致で危険性が0であると認めていない限り、安全性が確立してるとは言えない。

では、私たちはどうすればよいのか?安全かどうかも分からない食品を目の前にして、果たして心から食事を楽しめるのだろうか。小麦だけではない、野菜は?お肉は?ホルモン剤抗生物質は?加工食品は?訳の分からない名称だらけの添加物は?私たちは何を食べたらいいのだろう?

農薬に限れば、日本ではもはやそれを完全にゼロにする生活はできない。自家製有機栽培の野菜を摂取し、加工食品は生協から仕入れるなど、食生活に気を使っている人でさえ、検査で農薬が検出される。(もちろん、一般の人よりは量は少ない。)

農薬は、人々に安価で世界中の食品を楽しむために利用、進化してきた。だけど、その国、その季節で採れない食品を食べることは、人間の過大妄想であって、本来自然なことではない。簡単に欲しいものを手に入れることで身に起こるリスクを理解しなければならない。


食と健康に関するトピックには多種多様な業界の利害関係が複雑に絡み合っていて、人によって最適解は異なる。さらに誤った情報の発信や、都合の悪いことは隠して発信する、一部の主張に偏って発信するといったこともある。

私は基本的に1つの立場から意見を言う情報はあまり信用しない。問題となるテーマにはメリットとデメリットがあり、その受け取り方が人によって異なるから、すなわち問題として議論されるのだ。
メリットとデメリットを整理した上で、私の経済状況と環境から1番身の丈に合った答えを出し、それを信じる。私が満足できる答えこそ、正解に他ならないのだ。

地産地消、季節や自然に沿った食事。ほかのものが食べたいなら現地へ行くべし。その方が思い出にも残りやすい。

ゴミクズクソ人間の対処方

私は前回の記事でゴミクズクソ人間の定義を
「愛がない人」と書いた。

大人以外で愛がない人はいるだろうか?

ちょうどいい存在がいる。

それは思春期に病んでるクソガキだ。

つまり、身の回りでゴミクズクソ人間が居たらそいつは病んでるクソガキだと思えばいい。

可愛いじゃないか。
いい年こいて思春期とは。

こう思って接すると、相手は「舐められてる」と感じるだろう。

だから私は葛藤した。相手にやられたことを闇雲にやり返すのかと。やり返したくなかった。私自身が尊重の心を少しでも失いたくなかった。

だが、時と場合がある。自分法律で自らをがっちり固めるのは時として良くない。自分の核となる信念は守りつつ、その周囲を侵害された場合は、それ相応の対処をすべきだ。

自分をカチコチに固めると自分が苦しむだけだ。完璧になってはいけない。人生は流動的でなくてはいけない。

P.S.私は私を苛立たせる存在とはもうサヨナラした。

ゴミクズクソ人間は存在する

世の中良い奴ばかりだろうか?
否。どうしようもないカスは存在する。

私にとってのカスの定義はこうだ。
「愛がない人」

粗暴でも乱暴でも要領悪くても適当でも私という存在を気にかけ、愛が相見えるなら関わりあっていけるし私も再び尊重できる。

しかし、私を空気のように軽んじ、尊重してくれない人と一緒の空間にいると、吐き気が催されるし私は尊重できなくなる。

やる気がなくなるし、その人と関わりたくなくなる。だが、嫌いにはならない。無関係になりたいのだ。だが、仕事となるとどうしても一緒にいなければいけなくなる。

そういうクソ人間がいると、私は見下してしまう。見下すという行為がどれほど自分に対してデメリットがあるか私は十分理解してる。

特に私はサービス業をしてるので、お客様に対する接し方に支障をきたす。

すると、悪循環に陥りどんどんストレスが溜まっていく。

こうなるともう最悪以外の何物でもない。

これは持論だが、毎日の仕事以外の充実度で日々の価値は決まると思う。仕事でストレスは溜めたくないのだ。溜めてしまうと、仕事以外の生産的活動に影響が出るからだ。

結論、そういう人と仕事しなければいいのだろう?辞めればいいのだろう?それでいいんだよな?

間違ってないはずだ。

仕事は大抵退屈だ。だから、モチベーションが全てと言っても過言ではない。

モチベーションが上がる方法は2つあると思う。
1.仕事の対象を愛す(真摯に取り組む)
2.場の空気を良くする

場の空気を乱すやつはどこにでもいるだろう。そういう奴には説明してあげる必要がある。

以上。

気になった英単語

最近気になった英単語を書いていく。

 

・look,seem,appear

look...目を向ける動作。目を向けた先が「ある状態に見える」ときにも使われる。

seem...「話し手」の推量を込めた見方。視界に入ったものを、推量をこめて、「主観的に」判断する。

appear...外見上の見え方。何かが見えて、それを「外見上で」判断する。

 

・still,only,just

still...静的な状態。まだ(依然として)動かない。[still life painting](静止画) [stand/sit/stay still](〜じっと立つ/座る/している。)[Still your mind and breathe](心を鎮めよ) [In the still of the night](夜の静寂)

only...唯一のという意味。俺か、俺以外か。ある現実の事象から主観的にBUTの評価をしたいとき。[It’s only rice and fish](でもこんなのただの米と魚だ。)[She is only a child](でも彼女はまだ子供だ。)[But It’s only morning.](でもまだ朝だよ。)

just...基準と比べてまさにそうだ。onlyのように唯一という意味ではなく、その通りだって意味で使われる[My teacher is a just person.](先生はまさに公平な人だ。a just person 正義感のある人)[just you](まさに君だ)⇄[only you](唯一君しかいない)

 

・be to不定

何かが be で「存在」して、to do で「~することに向かう」流れ。ここから「~することになっている」というイメージ。話し手の意志とは無関係である、というニュアンスが含まれている。

 

・will not

(話し手からしたら)意思がない。

[He won’t listen to my advice.](彼はどうしても私のアドバイスを聞こうとしない)

[This window won’t open.](この窓はどうしても開かない)

[Teenagers will not do as they are told.](10代の若者は言われた通りにはやらないものだ)

 

・would

中心イメージは「現実から1歩退いた意志」英気は時制を変えて婉曲的なニュアンスを醸す。仮定法はその代表。 woludの他にもcould、shouldも同じようなニュアンスがある。

wouldの場合、「意志がある」から一歩退いて「意志があればいいなぁ、」

[Would you call me again 30 minutes later?](30分後に再度お電話を頂ければと)

[Would you like one more piece of cake?](ケーキをもう一切れいかがですか?)

[Would you care for a candy?](お菓子をいかが?)

[It would be difficult for us to accept your offer.]
(私どもが貴社のご提案をお受けするのは難しいかと存じます)

[It’s raining today. I would rather stay at home (than being caught in the rain).]
(今日は雨だ。(雨に降られるぐらいなら)家にいようと思う)

[I’d like to get a ticket to Staten Island.](スタテン島行きの切符がほしいのですが)

[Would you mind closing the door?](ドアを閉めていただけますか?)

 

・might

「may」は約50%の確信度だが、「might」はそれよりも低い確率を表し、感覚的には30%以下の確信度。

[I might be late this evening.](ひょっとしたら今晩は帰りが遅くなるかもしれない)

 

・比較級応用問題

(1) Lake Biwa is the largest lake in Japan.

=Lake Biwa is larger (   )(   )(   ) lake in Japan.

=(   )(   )lake in Japan is as large as lake Biwa.

 

→than, any, other, No, other

 

・meet

凸と凹がぴたりと重なるイメージ。会う(互いに会う予定だった⇄seeたまたま会った)、満たす

 

・before long...やがて、まもなく

 

・find O C...OがCだとわかる

「SV that S’V’」は間接的根拠に基づく考え・判断
「SVOC」は直接的根拠に基づく考え・判断

間接的or直接的を決定づけるのは「that」の有無。

この違いは「動詞の影響を受ける内容が動詞からどの程度距離があるか」で生じる。

 

・behind

behind は 「あるものの後ろ」にいるイメージ。

このイメージから、意味は 「〜の後ろに」「〜より遅れている」

[Our project is a week behind schedule.](私たちの計画が 1週間遅れています)